介護職に向いている人の特徴は【気長に待てる人】

おはようございます。たにめにです。どうも。

介護福祉士として、10年以上の現場を経験してきた男が、介護業界を去るための情報をブログにまとめています。

現在は2児の父として、広告代理店でうだうだやってます。

介護士に向いてる人の特徴は合理主義とは真逆の気質の持ち主

以前、こんな記事を残しました。

じゃあ、逆に介護職に向いている人って、どんな性質を持っているのでしょうか。

結論から言うと、これに関しては気の長い人ですね。

この性質は、合理主義の人には欠けてくる部分だと思います。

トレードオフなんですよね。

合理化、効率化を目指せば、どんどん楽に、そして早くっていう思考回路になっていくのは、当然のことです。

むしろビジネスの世界では、PDCAを回して成果を出すっていう態度の方が、求められる世界ですから。

でも介護業界は、そういった合理性を取るかどうかは、二の次です。

介護職員が合理性よりも優先しなければならないものとは?

例えば、嚥下えんげのわるい人、むせこみが多い人には、お茶にトロミをつけます。

(片栗粉みたいなイメージ)

じゃあ、このトロミの粉を、先にコップに入れておいて準備をしておいたら、必要なタイミングでお茶を注ぐことができます。

いそがしい状況でも、時短でお茶を提供できるわけです。

そしたら時間も人もいない状況でも、わずかながら効率的に、お茶をつくることができますよね。

でも、そのやり方だと、トロミ粉がうまく混ざりにくいため、ダマになりやすいっていうデメリットがあります。

ダマになりやすいと、結局、利用者にとって窒息ちっそくの可能性も、なきにしもあらずってことになってきます。

当然ですけど、介護の現場では、合理性を取るっていうよりかは、安全性を取るっていうことへの優先度が高いです。

したがって、上記の方法はNGです。

自立支援を視野に入れたら1人の利用者に割ける時間がないとムリ

トランス(移乗)なんかも、自立支援を視野に入れるか入れないかだけで、かかってくる時間も全然違います。

例えば、片マヒがあったり、立ち上がり動作が、一部介助でとれる利用者がいたとします。

そういった利用者も、画一的に、全介助で抱えて【ベット⇄車椅子】へ、トランスをしてしまえば、早く終わります。

でも、それだと残存機能を使わないことになるので、いわゆる寝たきりの状態になるまでの期間が早まってしまいます。

「使わなければ衰える」っていうのは、肉体のどの部分においても言えることです。

スポーツ選手だって、3日サボれば、パフォーマンスを取り戻すのに1週間かかるって話です。

筋トレなんて続けてないと、割れてた腹筋も、ボヨンボヨンです。

つまり、気長に待てる人ってのは、介護職に携わる上で、必要な特性だと言えます。

「やることやって終わり」っていうスタンスであれば、この仕事じゃなくても、できますからね。

わざわざ介護職を選ぶ必要もないんですよ。

介護現場にある理想と現実が矛盾する原因は人手不足

ところがどっこい。(古い)

自立支援するためには、必要十分な時間がないと成立しません。

これは言い換えると、必要十分なマンパワーがないと成立しないってことです。

介護業界の理想と、現実が、乖離する要因が、ここにあります。

実際の現場は、限られた人数で、限られた時間の中で、介護士は動いています。

人手不足によって、利用者一人一人に割くための時間てのは、削られているということです。

2025年には、38万人の介護士が不足すると言われているような状況ですからね。

これが何を意味するのか。

自立支援より、合理性を取らざるを得ない状況が出てきてしまうってことです。

正しい介護をやっていきたい」という正義感と、優しさが強い人には、苦しい状況だと思います。

そうすると、利用者の行動一つ一つに対して、気長に待つっていう態度を取るのは、物理的に難しくなってきますよね。

もちろん、余裕っていう観点で見れば、職場環境に依存するところは大いにあります。

ただ現状、介護職は、人の労働力に頼らないと成立しない仕事です。

合理性か、自立支援か。

そんな選択を迫られる介護士は、それでも「気長に待つ」っていう選択肢を取るのか。否か?

その辺の線引きは、自己犠牲の領域に入ってきますよね。

別に、「自己犠牲に走る人がえらい」って言いたいわけじゃないです。

介護に向いてる人の特徴と、人手不足による内状の不一致が、現場にはあるっていう、お話でした。

以上です。

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