介護士に向いてる人の特徴は合理主義とは真逆の気質の持ち主
以前、こんな記事を残しました。
じゃあ、逆に介護職に向いている人って、どんな性質を持っているのでしょうか。
結論から言うと、これに関しては気の長い人ですね。
この性質は、合理主義の人には欠けてくる部分だと思います。
トレードオフなんですよね。
合理化、効率化を目指せば、どんどん楽に、そして早くっていう思考回路になっていくのは、当然のことです。
むしろビジネスの世界では、PDCAを回して成果を出すっていう態度の方が、求められる世界ですから。
でも介護業界は、そういった合理性を取るかどうかは、二の次です。
介護職員が合理性よりも優先しなければならないものとは?
例えば、嚥下のわるい人、むせこみが多い人には、お茶にトロミをつけます。
(片栗粉みたいなイメージ)
じゃあ、このトロミの粉を、先にコップに入れておいて準備をしておいたら、必要なタイミングでお茶を注ぐことができます。
いそがしい状況でも、時短でお茶を提供できるわけです。
そしたら時間も人もいない状況でも、わずかながら効率的に、お茶をつくることができますよね。
でも、そのやり方だと、トロミ粉がうまく混ざりにくいため、ダマになりやすいっていうデメリットがあります。
ダマになりやすいと、結局、利用者にとって窒息の可能性も、なきにしもあらずってことになってきます。
当然ですけど、介護の現場では、合理性を取るっていうよりかは、安全性を取るっていうことへの優先度が高いです。
したがって、上記の方法はNGです。
自立支援を視野に入れたら1人の利用者に割ける時間がないとムリ
トランス(移乗)なんかも、自立支援を視野に入れるか入れないかだけで、かかってくる時間も全然違います。
例えば、片マヒがあったり、立ち上がり動作が、一部介助でとれる利用者がいたとします。
そういった利用者も、画一的に、全介助で抱えて【ベット⇄車椅子】へ、トランスをしてしまえば、早く終わります。
でも、それだと残存機能を使わないことになるので、いわゆる寝たきりの状態になるまでの期間が早まってしまいます。
「使わなければ衰える」っていうのは、肉体のどの部分においても言えることです。
スポーツ選手だって、3日サボれば、パフォーマンスを取り戻すのに1週間かかるって話です。
筋トレなんて続けてないと、割れてた腹筋も、ボヨンボヨンです。
つまり、気長に待てる人ってのは、介護職に携わる上で、必要な特性だと言えます。
「やることやって終わり」っていうスタンスであれば、この仕事じゃなくても、できますからね。
わざわざ介護職を選ぶ必要もないんですよ。
介護現場にある理想と現実が矛盾する原因は人手不足
ところがどっこい。(古い)
自立を支援するためには、必要十分な時間がないと成立しません。
これは言い換えると、必要十分なマンパワーがないと成立しないってことです。
介護業界の理想と、現実が、乖離する要因が、ここにあります。
実際の現場は、限られた人数で、限られた時間の中で、介護士は動いています。
人手不足によって、利用者一人一人に割くための時間てのは、削られているということです。
2025年には、38万人の介護士が不足すると言われているような状況ですからね。
これが何を意味するのか。
自立支援より、合理性を取らざるを得ない状況が出てきてしまうってことです。
「正しい介護をやっていきたい」という正義感と、優しさが強い人には、苦しい状況だと思います。
そうすると、利用者の行動一つ一つに対して、気長に待つっていう態度を取るのは、物理的に難しくなってきますよね。
もちろん、余裕っていう観点で見れば、職場環境に依存するところは大いにあります。
ただ現状、介護職は、人の労働力に頼らないと成立しない仕事です。
合理性か、自立支援か。
そんな選択を迫られる介護士は、それでも「気長に待つ」っていう選択肢を取るのか。否か?
その辺の線引きは、自己犠牲の領域に入ってきますよね。
別に、「自己犠牲に走る人がえらい」って言いたいわけじゃないです。
介護に向いてる人の特徴と、人手不足による内状の不一致が、現場にはあるっていう、お話でした。
以上です。