【おばさん(BBA)あるある】自分が100%正しいと思い込んでる人の特徴と対処

介護職の人間関係と心理

おはようございます。たにめにです。どうも。

介護福祉士として、10年以上の現場を経験してきた男が、介護業界を去るための情報をブログにまとめています。

現在は2児の父として、広告代理店でうだうだやってます。

あなたの所属してる職場には、妙に上から来たがる、おつぼねさん的な属性の人っていませんか?

これって、世間的に【女性らしい】とされている特徴を持つ人の、ダークサイドなんじゃねーかなと、僕個人としては考えています。

ちなみに、女性らしさの定義は以下の記事にて

女らしい人程、小さな変化でも気付くことの出来る女性的な視野の広さ。

繊細な気配り。という長所を持っています。

さて、この【女性らしさ】という特徴にですよ。

ヒステリックな思い込みという要素がブレンドされると、何やらおかしなことになると僕は考えています。

そう、同調圧力どうちょうあつりょくを垂れ流す、面倒な【おばさん】の、できあがりです。

職場に君臨くんりんするヒステリックBBAの特徴

色んなところで話を聞いてると、出てくるんですよね。こんな感じのおばさん。

  • 自分に原因を探さない
  • 自分を棚に上げる
  • 思い込みが激しい
  • 知ったかぶる
  • 文脈を考えない憶測
  • どうでもいい事にこだわる
  • 上から目線
  • 人の粗探しが好き

別に、人の価値観なんて様々なので、それはそれで、勝手にやればいいと思います。

この、ステレオタイプのおばさんの何が問題かって、これらの偏見を押し付けて来ることなんですよね。

なんでそうなるのか?って言うと、自分が100%正しいと思い込んでるからです。

この記事では、便宜上【おばさん】ですけど、これは別に、老若男女問わず言える事なんじゃあないでしょうか。

周囲に「面倒だな」っていう感情を巻き起す人って、何かがこじれている。

仕舞しまいには、他人に慢性的なストレスを引き起こすにまでいたる。

そういうので困ってる人って、いっぱい居るだろうなって思ったので、自分なりの独断と偏見を、拡散してみます。

解決策にはならないかも知れないけど、この記事が何かのヒントになればいいな。

転職するのが1番だけども

で、職場に、そんなおばさんが居たらどうすんの?って話ですよね。

まず、前提として捉えておきたい事として。

そのおばさんは変わらないって事です。

なぜなら、マインドセットを変えるって、本人にとっては簡単な事ではないからです。

仮に、「今から思考を変えろ」って言われて、出来ます?

どうやるの?って感じですよね。かなりの負担です。

逆に言えば、変化出来る人ってのは、「自分が間違ってるかも」っていう目線を常に持ってる筈です。

従って、自分が正しいという思い込みが激しい人程、変わりません。

例えば、敢えて悪意のある言い方をしますけど、相手の脳内を構成しているプログラム自体に、バグがある場合。

幾らその行動に対して指摘をしようが、そのプログラムを書き変えない限り、相手は同じ事を繰り返しますよね。

しかも、相手の思考回路をリライトする事は、膨大なエネルギーと時間を要するんですよ。

一生掛けたって、必ず変わるとも言い切れない。

自分自身で、自分のマインド変えようとする事ですら大変なのに、それを、他人が外からどうこうしたって、どうこうはなりませんよね。自分で気付かなきゃ始まらないんだから。

それに、相手に対する愛情以外の動機で、思考の改変を強いる事自体、結局は軽蔑していた筈の「押し付け」の態度でしかない訳です。

いや、愛情ですら、相手に何かを押し付けた時点で、有害になる。

そんなものが、人の心に響く訳がない。

従って、相手を嫌いになった時点で、そこから相手をどうこうしようとする事は不毛だっていう、結論に至るんですよ。

なんだこりゃって感じですよね。

その先に抜けたいのに、同じ場所に帰ってくるこの禅問答。

結局、人は簡単には変わりません。なるべくして、そうなってるので。

1番の解決策は、関わらない事です。そっと離れる。

でもそれじゃあ、あんまり現実的な解決策ではありせんよね。

その都度転職するとか、毎回毎回、職場をコロコロ変えるわけにもいきませんからね。

【結論】マウントしたがる人は結果で黙らすしかない

結局、実力で黙らせるしか無いんですよ。

そういう意味では、好きじゃない事を仕事にするのは、あまり得策じゃないですね。

熱が入らないので。

熱が入らないと、自分の仕事に誇りが待てないんですよ。

誇りが持てないと、自信を持って仕事の技術を刷新させるって事が出来ません。

或いは、結果を出すには、好きではなかったとしても、仕事として情熱を持てるような自分で居る必要はありますよね。

なんで面倒臭いのかは知りたい【お局さんに限らず】

そういう人に会った時、僕は、この人の言動と態度の背景にあるものって、なんなんだろう?と考えます。

勿論、明確な事は解りません。ただの仮説です。

何故なら、答えは当人を形成してきた過去の出来事にしか無いから。

地球の歴史と同じです。

タイムマシンのように、過去に遡って事実を目撃した訳でも無い、我々現代人は、化石や、地層のように、古い手掛かりを基に、これまでの地球の変遷を推測する事しか出来ませんよね。

歴史を知りたいなら、「当時は、こうだったんじゃないか?」っていう、仮説に対する、より強い根拠を集めるしかないんです。

同様に、自分が面倒だと思う相手の思考回路が、今に至るまでに、どう形成されていったかなんて、知る由も無いんですよ。

興味も無いし。

いや、厳密に言うと、面倒な相手には興味は無いけど、なんでそうなったのかっていう【経緯】には興味があります。

論理的なプロセスが見えるので、パターンを集めたら、抽象化できますよね。

そうなってる性質を持つ人の、論理的なメカニズムを把握できれば、都合のいい解釈は出来るようになります。

だったら、推し量る意味はある。

考える意味はある。

そう思うんですよ。

何事も、知ってれば、それだけで楽になるって事は、往々にしてあると思いませんか?

人は、知らない事に対して、不安恐怖を抱く生き物ですからね。

攻撃の連鎖と巻き込み事故

人の影響ってのは、連鎖すると考えています。

特に親にされてきた事ってのは、その人の人生を変えます。

例えば、優しい人ってのは、優しくされた人だし、人を傷つける人ってのは、人に傷つけられた人だったりすると思っています。

その影響力(庇護と言ってもいいし、呪いと言ってもいい)って、30歳くらいまで続くんじゃあないでしょうか。

エレカシの、【俺たちの明日】にもあるけど

10代憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り

20代悲しみを知って目を背けたくって町を彷徨い歩き

30代愛する人のためのこの命だってことにあぁ気付いたな

出典:俺たちの明日
エレファントカシマシ/宮本浩次

自分の心を、自分で変えていくような知性とか、経験値。

つまり、スタイルが固まってくるのって、30辺りなのかなぁという気がしますが、どうでしょう?

逆に言うと、それ以降の人間の人格って、当人が作り上げたものでもあるので、その人に相応しい姿でもあると思います。

例えば、ココシャネルの言う、顔の話ってありますよね。

20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生。でも、50歳の顔はあなたの功績よ

こんなニュアンスで、心もその人の人生が立ち現れるって話。

【ふぁっくALL】にするから戦争なんでしょ

大森靖子のドグマ・マグマって曲のサビが、争いの本質を物語ってます。

心を一つなんて ふぁっくYOU

ふぁっくALL にするから 戦争なんでしょ

出典:ドグマ・マグマ /大森靖子

誰だって、いちいち誰かを嫌いになんか、なりたくはないですよね。

可能な限り、仲良くやりたい筈。

戦争が起こる根本的な原因って、ミクロで言えば、お互いに自分が正しいと信じてるからです。

で、自分が正しいと思ってる時って、誰も自分を悪だとは思ってないんですよ。

自分にとって、よりよい世界の為に戦おうとするだけ。

例えば、デール・カーネギーの【人を動かす】っていう、世界的な名著があります。

その冒頭で、ニューヨーク犯罪史上、稀に見る凶悪犯である【二丁ピストルのクローレー】っていう人物が登場します。

クローレーってのは、車を道に止めていた時に、警官に「免許証を見せたまえ」と言われだけで、その警官を撃ち殺すような男なんですよ。

そんなノリで、針の先ほどのきっかけでも、簡単に人を殺して来た訳です。

で、そのクローレーが、処刑される時に言った最後の言葉がコレです。

「自分の身を守っただけのことで、こんな目に合わされるんだ。」

凶悪無類のクローレーでさえ、自分が悪いとは全然思っていなかったんですよね。

それどころか、彼の書いた手紙によって、以下のような彼の自己認識が記されていました。

「私の心、それは、疲れ果てた心ではあるが、やさしい心である。だれひとり人を傷つけようとは思わぬ心である」

つまり、人間はたとえ、自分がどんなに間違っていても、決して自分が悪いとは思いたがらない生き物って話です。

それと、この「みんな一緒に」みたいな思想って、近代教育の弊害なんじゃないかなとも感じます。

それが、同調圧力の空気感を生むんじゃないかなと。

自分が正しいと信じてる人全員が他人を傷付ける素質を持ってる

自分が正しいと信じる事自体は、別に間違ってません。

然るべき態度でさえあります。

何故なら、存在してる時点で、生存をかけた戦いに参加せざるを得ないからです。

生きていれば、何処かで必ず、あなたを傷付けようとしてくる人間には遭遇します。

従って、世の中ってのは、戦いたくなかったとしても、自衛的に戦う事を強いられるんです。

弱肉強食なんです。

弱ェ奴は死に方も選べねぇ」んです。

つまり、此処で1つ言っておきたいのは、【嫌なら勝ち取れ】って話。

現代ではそれが、腕力ではなく、知力とか、資本力とかで殴り合ってる世界な訳です。

それが資本主義社会です。

参照記事:【若者こそ】知っておくべき【資本主義社会】の構造とお金の動き

発想が天動説(自分中心)

もう一度言いますが、自分が正しいと信じる事自体は、別に間違ってません。勝手にやればいい。

ただ、それを他人に押し付け始めた時点で、相手の尊厳はスルーされますよね。

で、なんでか知んないけど、そういう人に限って、自分を変えずに他人を変えようとするような、謎の態度を取るんですよね。

つまり、自分を棚に上げるって事なんですけど。

それやっちゃったら、なんとでも言えるよねって話で。

逆に言えば、言葉に責任を持つ事ってのは、自分を棚に上げないって事だと思うんです。

他人には【他人の正しさ】というものがある。

そういう事実を、認識してないんですよ。

天文学的に言うと、発想が天動説(地球中心説)なんです。

これはつまり、世界は地動説であるって事を知らないからですよね。

問題なのは、自分にとっての正しさと、相手にとっての正しさ、その境界線上での振る舞いだと思いませんか?

そこで、想像力の有る態度を選び取る事が出来るのかどうかが、お互いの関係性を決定付ける訳で。

少なくとも、その位置、自分の考えを自覚できていないと、互いの立ち位置を尊重出来ないですよね。

なんか、お節介な人って、容易くそれを踏み越えて、干渉したがるんですよ。

その違いを否定したがるんです。自分の自意識の為に。

もしかしたら、他人を使う事でしか、自分の自尊心を確かめられないのかもしれません。

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