あなたの所属してる職場には、妙に上から来たがる、お局さん的な属性の人っていませんか?
これって、世間的に【女性らしい】とされている特徴を持つ人の、ダークサイドなんじゃねーかなと、僕個人としては考えています。
ちなみに、女性らしさの定義は以下の記事にて
女らしい人程、小さな変化でも気付くことの出来る女性的な視野の広さ。
繊細な気配り。という長所を持っています。
さて、この【女性らしさ】という特徴にですよ。
ヒステリックな思い込みという要素がブレンドされると、何やらおかしなことになると僕は考えています。
そう、同調圧力を垂れ流す、面倒な【おばさん】の、できあがりです。
職場に君臨くんりんするヒステリックBBAの特徴
色んなところで話を聞いてると、出てくるんですよね。こんな感じのおばさん。
- 自分に原因を探さない
- 自分を棚に上げる
- 思い込みが激しい
- 知ったかぶる
- 文脈を考えない憶測
- どうでもいい事にこだわる
- 上から目線
- 人の粗探しが好き
別に、人の価値観なんて様々なので、それはそれで、勝手にやればいいと思います。
この、ステレオタイプのおばさんの何が問題かって、これらの偏見を押し付けて来ることなんですよね。
なんでそうなるのか?って言うと、自分が100%正しいと思い込んでるからです。
この記事では、便宜上【おばさん】ですけど、これは別に、老若男女問わず言える事なんじゃあないでしょうか。
周囲に「面倒だな」っていう感情を巻き起す人って、何かがこじれている。
仕舞いには、他人に慢性的なストレスを引き起こすにまで至る。
そういうので困ってる人って、いっぱい居るだろうなって思ったので、自分なりの独断と偏見を、拡散してみます。
解決策にはならないかも知れないけど、この記事が何かのヒントになればいいな。
転職するのが1番だけども
で、職場に、そんなおばさんが居たらどうすんの?って話ですよね。
まず、前提として捉えておきたい事として。
そのおばさんは変わらないって事です。
なぜなら、マインドセットを変えるって、本人にとっては簡単な事ではないからです。
仮に、「今から思考を変えろ」って言われて、出来ます?
どうやるの?って感じですよね。かなりの負担です。
逆に言えば、変化出来る人ってのは、「自分が間違ってるかも」っていう目線を常に持ってる筈です。
従って、自分が正しいという思い込みが激しい人程、変わりません。
例えば、敢えて悪意のある言い方をしますけど、相手の脳内を構成しているプログラム自体に、バグがある場合。
幾らその行動に対して指摘をしようが、そのプログラムを書き変えない限り、相手は同じ事を繰り返しますよね。
しかも、相手の思考回路をリライトする事は、膨大なエネルギーと時間を要するんですよ。
一生掛けたって、必ず変わるとも言い切れない。
自分自身で、自分のマインド変えようとする事ですら大変なのに、それを、他人が外からどうこうしたって、どうこうはなりませんよね。自分で気付かなきゃ始まらないんだから。
それに、相手に対する愛情以外の動機で、思考の改変を強いる事自体、結局は軽蔑していた筈の「押し付け」の態度でしかない訳です。
いや、愛情ですら、相手に何かを押し付けた時点で、有害になる。
そんなものが、人の心に響く訳がない。
従って、相手を嫌いになった時点で、そこから相手をどうこうしようとする事は不毛だっていう、結論に至るんですよ。
なんだこりゃって感じですよね。
その先に抜けたいのに、同じ場所に帰ってくるこの禅問答。
結局、人は簡単には変わりません。なるべくして、そうなってるので。
1番の解決策は、関わらない事です。そっと離れる。
でもそれじゃあ、あんまり現実的な解決策ではありせんよね。
その都度転職するとか、毎回毎回、職場をコロコロ変えるわけにもいきませんからね。
【結論】マウントしたがる人は結果で黙らすしかない
結局、実力で黙らせるしか無いんですよ。
そういう意味では、好きじゃない事を仕事にするのは、あまり得策じゃないですね。
熱が入らないので。
熱が入らないと、自分の仕事に誇りが待てないんですよ。
誇りが持てないと、自信を持って仕事の技術を刷新させるって事が出来ません。
或いは、結果を出すには、好きではなかったとしても、仕事として情熱を持てるような自分で居る必要はありますよね。
なんで面倒臭いのかは知りたい【お局さんに限らず】
そういう人に会った時、僕は、この人の言動と態度の背景にあるものって、なんなんだろう?と考えます。
勿論、明確な事は解りません。ただの仮説です。
何故なら、答えは当人を形成してきた過去の出来事にしか無いから。
地球の歴史と同じです。
タイムマシンのように、過去に遡って事実を目撃した訳でも無い、我々現代人は、化石や、地層のように、古い手掛かりを基に、これまでの地球の変遷を推測する事しか出来ませんよね。
歴史を知りたいなら、「当時は、こうだったんじゃないか?」っていう、仮説に対する、より強い根拠を集めるしかないんです。
同様に、自分が面倒だと思う相手の思考回路が、今に至るまでに、どう形成されていったかなんて、知る由も無いんですよ。
興味も無いし。
いや、厳密に言うと、面倒な相手には興味は無いけど、なんでそうなったのかっていう【経緯】には興味があります。
論理的なプロセスが見えるので、パターンを集めたら、抽象化できますよね。
そうなってる性質を持つ人の、論理的なメカニズムを把握できれば、都合のいい解釈は出来るようになります。
だったら、推し量る意味はある。
考える意味はある。
そう思うんですよ。
何事も、知ってれば、それだけで楽になるって事は、往々にしてあると思いませんか?
人は、知らない事に対して、不安や恐怖を抱く生き物ですからね。
攻撃の連鎖と巻き込み事故
人の影響ってのは、連鎖すると考えています。
特に親にされてきた事ってのは、その人の人生を変えます。
例えば、優しい人ってのは、優しくされた人だし、人を傷つける人ってのは、人に傷つけられた人だったりすると思っています。
その影響力(庇護と言ってもいいし、呪いと言ってもいい)って、30歳くらいまで続くんじゃあないでしょうか。
エレカシの、【俺たちの明日】にもあるけど
10代憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り
20代悲しみを知って目を背けたくって町を彷徨い歩き
30代愛する人のためのこの命だってことにあぁ気付いたな
出典:俺たちの明日
エレファントカシマシ/宮本浩次
自分の心を、自分で変えていくような知性とか、経験値。
つまり、スタイルが固まってくるのって、30辺りなのかなぁという気がしますが、どうでしょう?
逆に言うと、それ以降の人間の人格って、当人が作り上げたものでもあるので、その人に相応しい姿でもあると思います。
例えば、ココシャネルの言う、顔の話ってありますよね。
20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生。でも、50歳の顔はあなたの功績よ
こんなニュアンスで、心もその人の人生が立ち現れるって話。
【ふぁっくALL】にするから戦争なんでしょ
大森靖子のドグマ・マグマって曲のサビが、争いの本質を物語ってます。
心を一つなんて ふぁっくYOU
ふぁっくALL にするから 戦争なんでしょ
出典:ドグマ・マグマ /大森靖子
誰だって、いちいち誰かを嫌いになんか、なりたくはないですよね。
可能な限り、仲良くやりたい筈。
戦争が起こる根本的な原因って、ミクロで言えば、お互いに自分が正しいと信じてるからです。
で、自分が正しいと思ってる時って、誰も自分を悪だとは思ってないんですよ。
自分にとって、よりよい世界の為に戦おうとするだけ。
例えば、デール・カーネギーの【人を動かす】っていう、世界的な名著があります。
その冒頭で、ニューヨーク犯罪史上、稀に見る凶悪犯である【二丁ピストルのクローレー】っていう人物が登場します。
クローレーってのは、車を道に止めていた時に、警官に「免許証を見せたまえ」と言われだけで、その警官を撃ち殺すような男なんですよ。
そんなノリで、針の先ほどのきっかけでも、簡単に人を殺して来た訳です。
で、そのクローレーが、処刑される時に言った最後の言葉がコレです。
「自分の身を守っただけのことで、こんな目に合わされるんだ。」
凶悪無類のクローレーでさえ、自分が悪いとは全然思っていなかったんですよね。
それどころか、彼の書いた手紙によって、以下のような彼の自己認識が記されていました。
「私の心、それは、疲れ果てた心ではあるが、やさしい心である。だれひとり人を傷つけようとは思わぬ心である」
つまり、人間はたとえ、自分がどんなに間違っていても、決して自分が悪いとは思いたがらない生き物って話です。
それと、この「みんな一緒に」みたいな思想って、近代教育の弊害なんじゃないかなとも感じます。
それが、同調圧力の空気感を生むんじゃないかなと。
自分が正しいと信じてる人全員が他人を傷付ける素質を持ってる
自分が正しいと信じる事自体は、別に間違ってません。
然るべき態度でさえあります。
何故なら、存在してる時点で、生存をかけた戦いに参加せざるを得ないからです。
生きていれば、何処かで必ず、あなたを傷付けようとしてくる人間には遭遇します。
従って、世の中ってのは、戦いたくなかったとしても、自衛的に戦う事を強いられるんです。
弱肉強食なんです。
「弱ェ奴は死に方も選べねぇ」んです。
つまり、此処で1つ言っておきたいのは、【嫌なら勝ち取れ】って話。
現代ではそれが、腕力ではなく、知力とか、資本力とかで殴り合ってる世界な訳です。
それが資本主義社会です。
参照記事:【若者こそ】知っておくべき【資本主義社会】の構造とお金の動き
発想が天動説(自分中心)
もう一度言いますが、自分が正しいと信じる事自体は、別に間違ってません。勝手にやればいい。
ただ、それを他人に押し付け始めた時点で、相手の尊厳はスルーされますよね。
で、なんでか知んないけど、そういう人に限って、自分を変えずに他人を変えようとするような、謎の態度を取るんですよね。
つまり、自分を棚に上げるって事なんですけど。
それやっちゃったら、なんとでも言えるよねって話で。
逆に言えば、言葉に責任を持つ事ってのは、自分を棚に上げないって事だと思うんです。
他人には【他人の正しさ】というものがある。
そういう事実を、認識してないんですよ。
天文学的に言うと、発想が天動説(地球中心説)なんです。
これはつまり、世界は地動説であるって事を知らないからですよね。
問題なのは、自分にとっての正しさと、相手にとっての正しさ、その境界線上での振る舞いだと思いませんか?
そこで、想像力の有る態度を選び取る事が出来るのかどうかが、お互いの関係性を決定付ける訳で。
少なくとも、その位置、自分の考えを自覚できていないと、互いの立ち位置を尊重出来ないですよね。
なんか、お節介な人って、容易くそれを踏み越えて、干渉したがるんですよ。
その違いを否定したがるんです。自分の自意識の為に。
もしかしたら、他人を使う事でしか、自分の自尊心を確かめられないのかもしれません。